こないだ、バラを見に中之島公園へ行った。

お天気が良すぎて、
木陰に人が集まっていた。

お弁当を広げている人、
ヨガをしている人、
昼寝している人、
ただおしゃべりしている人。

みんな、とても幸せそうだった。

公園でのひとときも、特別な時間になる。
風の心地よさ、緑の匂い。
それだけで、十分すぎるくらいだった。

その夜、ニュースを見ていると、
不安がどんよりと心を覆ってきた。

戦争の話。
値上げの話。
原油、小麦、包装資材、人件費。

経済の専門家ではないから、
このニュースの奥行がわかるわけではない。

でも、ひとりの生活者として、感じることはある。
この先どうなるんだろう、と感情を揺らされてしまう。

そこに、カルビーが包装をモノクロにするというニュース。

見慣れた商品のパッケージから色が消えることに、最初は少し驚いた。

でも、よくよく考えると、あれだけの大きな会社が
「見た目」という大事なものを手放したのだ。

そう思うと、じわじわと感動した。

値上げだけに頼らず、どこの企業もこういう工夫をすればいい、
という単純な話ではない。

「なくてもいいもの」を削る覚悟。

この覚悟が、消費者に大きく届くといいなと思う。

私が小さなころ、スーパーの袋といえば紙袋だった。
それはそれで、時代の味わいだったように思う。

今は便利な時代だ。
個包装も、発泡スチロールのトレーも、
きれいな印刷のパッケージも、
私たちの暮らしを豊かにしてくれた。

昔に戻ればいい、という話ではない。

でも、その豊かさを保つために値段が上がり続けるなら、
一度、手放すことを考えてもよいのではないか。


人件費が高騰したというけれど、
値上げした分、お給料も上がっているのだろうか。

物価が上がり続けても、
お給料が同じように上がるとは限らない。

だから、これからはきっと、
買うものも、行く場所も、暮らし方も変わっていく。

そのときに、
お金があるかないかで幸せを計るのを、
もうやめたほうがいいと思う。

私は、そこからようやく降りた。


買いたいものを買えることは、幸せだと思う。
でも、私は、買いたいものが買えないことを不幸せだとは思わなくなった。

買えないことを不幸にしてしまうと、
今ある幸せまで見えなくなってしまう気がする。

少し視点を変えれば、
幸せはそこかしこに在る。

ケーキが高いなら、和菓子にする。
でも、やっぱりケーキが食べたいと思うなら、買えばいい。

高いなと思いながら食べるのは、なんだかしんどい。
本当に食べたいものなら、高くても、きっと満足するはず。

旅行も同じ。

どうしても見たい景色があるなら、
きっと行く方法を考えると思う。

気分転換なら、いろんな形でできる。
近くの公園でお弁当を食べて、十分楽しい日もある。

マイホームもそう。

価格高騰が進めば、
「家を持つこと」を幸せの形にしない人も増えていくと思う。

でも、それは夢が消えたのではなく、
幸せの形が変わっていくだけかもしれない。

今、世の中の価値観が大きく変わろうとしているのかもしれない。


思っていた以上に、幸せは在る。

ごはんを食べられて、眠れるところがある。

今日もいい日にしよう。