もう二十年、講演の仕事を続けてきました。最初から人権講演のお声がけが多く、今もそれは変わりません。私は、自分ではあまり失敗しない講師だと思っています。それは、極端に偏ったことを言わないことを大切にしてきたからです。でも、それだけでは二十年も講演は続きません。ぼんやりと、誰にでも当てはまるような話をしていたら、私はきっとここまで必要としていただけなかったと思います。
この二十年で、私自身が大きく変わったことがあります。それは、ある日、自分でも思いがけない事実に向き合うことになった、ということです。
私は講演の中で、よく「普通のレール」という話をします。健康に生まれ、学校へ行き、就職をし、結婚をして、子どもが生まれ、年を重ねていく。もちろん、誰もがその通りの人生を歩むわけではありません。でも、多くの人が思い描く「普通」とは、そんな人生ではないでしょうか。
人権講演というと、多くの方は差別についての話を思い浮かべると思います。歴史の中で生まれた差別もあれば、今も次々と生まれてくる社会のさまざまな偏見もあります。私は人権講演の中で、自分自身の病気のことや人生のことを通して、「普通とは何だろう」という問いを投げかけ続けてきました。
そんな講演を何年も続ける中で、私は気づいたのです。私はずっと「普通のレール」の話をしてきたのに、自分自身がそのレールから外れた側の人間だったことに、本当の意味では気づいていなかったのだと。
「今まで気づかなかったのですか?」と思われるかもしれません。でも、本当に気づいていなかったんです。そういう立場の人間として講演の場をいただいていたということ自体に、目を向けたことがなかったのです。
講演で話している病気のことも、人生のことも、私にとっては特別なことではありません。ただ、自分の人生を生きてきたという、それだけのことでした。だから、自分をかわいそうだと思ったことは一度もありません。でも、ある時ふと思いました。もしかしたら私は、「普通ではない人」として見られていたのかもしれない。そう考えた時、私は改めて「普通」という言葉について考えるようになりました。
「普通のレール」があるから、「普通ではない」というものが生まれる。そして、そのレールから外れてしまう人は、私たちが思っているよりずっと多いのではないでしょうか。講演会場で私の話を聞いてくださっている方の中にも、人生のどこかでレールから外れた方、外れそうになった方は、きっとたくさんいらっしゃるはずです。
だから私は、その方たちには伝えたいのです。レールから外れてしまったからといって、人生が終わるわけではありません。元のレールに戻ることだけが正解でもありません。外れた場所で、自分のレールを敷いていけばいい。一時は大変かもしれません。でも、必ず前にレールがやってきます。私はそう信じています。
そして、自分はレールから外れていないと思う方にも伝えたいことがあります。レールから外れた人を「かわいそう」と見るのは違うということです。もし、自分が今もそのレールの上を歩いていると思うのなら、それは本当に幸せなことです。その幸せに、ぜひ気づいてほしいのです。
私自身も、病気によって一度レールから外れました。でも、病気になる前の人生に戻ろうとはしませんでした。外れた場所で、自分にできることを一つひとつ積み重ねてきました。講演もそうです。音楽もそうです。たくさんの方との出会いもそうです。そうやって歩いてきた道が、今の私のレールになりました。
二十年前、私は病気のことを知ってほしいという思いで講演を始めました。でも今、私が本当に伝えたいことは少し変わりました。「普通」とは何だろう。その問いを持つこと。そして、人生には誰もがレールから外れる可能性があることを知ること。だからこそ、人を「かわいそう」と見るのではなく、その人の人生として受け止めること。
そんなことを思いながら、私は今日も講演で「普通って何だろう」という問いを投げかけています。
こうした「普通とは何だろう」という問いを、私は今も各地の講演会でお話ししています。もしご興味を持っていただけたら、講演のご依頼はこちらからお願いいたします。
