(シリーズ:花が教えてくれた、生きる力 ― 季節が巡るように、人生も動いている ― 第2章

花が語りかける、三つの真実

このブログは、三部作エッセイ『花が教えてくれた、生きる力 ― 季節が巡るように、人生も動いている ―』の第2章です。

私には、人生の節目や心細いときに、必ず立ち止まる勇気をくれた、忘れられない花が三つあります。この三つの花が織りなすメッセージこそが、私が講演でお話しする「生きる力」の原点です。

第1章(彼岸花)では、「忘れずに咲く力」を。そして今回、第2章では、秋の深まりと共に、突然、街全体に甘い香りを運んでくれる金木犀が、「見えない記憶の温もり」を教えてくれたエピソードを綴ります。

ふとした瞬間に、風にのって金木犀の香りを感じると、私はいつも、胸の奥にある大切な記憶が呼び覚まされるのを感じます。どんなに世界が揺れ、人の心がざわついても、季節は必ず巡るという、静かでゆるぎない真実を最初に私に教えてくれたのが、金木犀です。

これから、人生の岐路に立たされた、ひとつの朝のことを心を込めて綴りたいと思います。

これは、私が講演の場でよくお伝えするエピソードです。皆さんの心が、ぎゅっと縮こまってしまったときに、そっと背中を押すような、温かい記憶として受け取っていただけたら、これほど嬉しいことはありません。

あの朝のこと

病気の再発を繰り返しながらも、もう一度、自分の場所を取り戻そうと決めたあの頃。

毎日が精一杯で、ふとしたことで心折れそうな日々でした。それでも、「今、一歩を踏み出している」と信じて、前を向いて生きる努力をしていました。

ご縁をいただき、就職できた私は、社会復帰の目標を決めました。

一年目は、家族に送り迎えをしてもらいながら、ただ「毎日会社に行く」ことだけを目標にしました。それは、当時の私にとっての大きな一歩でした。病という境遇に負けたくない――その思いが、心の中に強くありました。

二年目には、帰りは自分で歩き、そして三年目には、ようやく行きも帰りも自分の足で立つと決めました。それが、私にとっての「普通の人になるための挑戦」でした。

しかし、その三年目の、ある秋の朝。体も心も、もう限界を迎えていました。

会社が嫌なわけではない。仕事が辛いわけでもない。ただ、もうこれ以上、自分を奮い立たせる頑張る力が、体のどこにも残っていなかったのです。重い足取りで家を出て、バス停に向かう途中の、何の変哲もない路地裏で、私は突然、その場にしゃがみ込んでしまいました。

「ああ、もう無理だ」

心が深く沈み込んでいくのを感じながらも、家に戻る気力さえありません。冷たい地面の上に座り込んだ私の頬を、朝の少し冷たさを増した秋の風が撫でていきました。

そのとき――。

ふわっと金木犀の香りが流れてきたのです。

香りが導いた一歩

甘く、豊潤で、それでいてどこか懐かしさを含んだその香りに、私は思わず、深く息を吸い込みました。全身の細胞が、そのやさしい香りに包まれていくような心地がしました。

「ああ、なんていい香りだろう…」

そう思った瞬間、遠い日の小さな記憶が、よみがえりました。

私の実家にも、金木犀の木がありました。学校に行きたくないと駄々をこねていた朝でも、あの金色の花が放つ香りを感じると、「いい匂いだな」と、不思議と元気をもらって出かけていった、幼い頃の私。

その温かい記憶の波に抱かれて、気づけば私は、すっと立ち上がっていました。

なぜだか分からないけれど、心が少し上を向いて、自然と、朝の光に照らされたバス停へと向かっていたのです。

会社に着くころには、朝の道端で感じたあの底知れない苦しさが、嘘のように心が軽くなっていました。何も特別なことは起きていないのに、「楽しい」と思えた日でした。その日一日、私は金木犀の香りに導かれた奇跡のような一日を過ごしたのです。

幸せを探す練習

そして、次の日。

「今日も、あの香りに包まれて会社へ行こう」そう思って家を出ました。

昨日と同じ道、昨日と同じ時間。
金木犀の香りを、そこかしこに感じます。

しかし、どれだけ深く空気を吸い込んでも、昨日、私の心を救ってくれたあの豊潤な感覚は戻ってきません。

あの幸せな感覚は幻だったのか。消えてなくなったようでした。次の日も、その次の日も。金木犀の香りは日ごとに薄れていき、やがて木の下は小さなオレンジ色の花びらで覆われていました。短い期間に、一瞬の輝きを放って――そして、静かに散っていったのです。

あの日の、あの幸せな気持ちは何だったんだろう――。

そう思った私は、ふと文具店に立ち寄り、手のひらに収まる小さなノートを買いました。そして、最初のページに、こう題名をつけました。

「今日の幸せ、三つ」

最初は何を書けばいいのか、途方に暮れました。あの頃の私は、幸せとはもっと大きなものだと思い込んでいたのだと思います。「幸せなんて、そんな大層なものが、自分の一日に見つかるだろうか」と。

それでも、何か書いてみようと一日を振り返り「いいことあったかな?」と、考えること小一時間。ようやく最初のページに書いたのはこんなことでした。

  • 「バスが時間どおりに来た」
  • 「電車で座れた」
  • 「お弁当の卵焼きが、昨日より甘くておいしかった」

それが、その日の私にとっての精一杯の「幸せ」でした。

でも、書き続けるうちに気づいたんです。毎日同じことを書いていると、「違うことも書きたい」と自然に思うようになる。それから私は、道の途中で「どこかに花は咲いていないかな」と見渡したり、ふと空を見上げて虹を探したり、「どこかに幸せはないかな」とアンテナを張り巡らせながら歩くようになりました。

気がつけば、私は下を向かなくなっていました。それまでは痛みのせいで、常に縮こまっていた体が、少しずつ、空を見上げるようになっていたのです。

小さな幸せが、未来を変える

そうやって小さな幸せを探すうちに、まわりから不思議と人が集まってくるようになりました。私の小さな変化に気づいて、そっと手を差し伸べてくれる人。私の復帰を心から応援してくれる人。そして、思いがけないチャンスをくれる人たち。

あの頃の私は、きっと、幸せに気づくためのアンテナを立てたんだと思います。

そのアンテナがあると、どんなにしんどい日でも、小さな幸せを見つけることができる。そして、そのアンテナがキャッチした小さな光を頼りに、今日という一日を、一歩ずつ歩き続けることができるのです。

金木犀の香りに救われたあの朝から、私は「幸せを向いて生きる」という言葉を、人生の最も大切な指針にしています。

幸せは、遠いどこかにある大きな何かを探すものじゃなくて、今、この瞬間に自分の周りに漂っている小さなきらめきを感じるもの。そして、その「感じる力」を育てるのは、「小さな気づき」の積み重ねなんです。

このエピソードを講演でお話しすると、多くの方が「私も今日から三つ、幸せを探してみます」と言ってくださいます。その言葉を聞くたびに、私は胸の奥があたたかくなり、言葉にできないほどの喜びを感じます。

それは、とても小さな話かもしれません。けれど、その小さな話が、誰かの心の中で「気づき」となり、その気づきが、また次の誰かの心を照らす「希望」の光へとつながっていく。その連鎖こそが、私の講演の、そして私の人生のいちばの喜びです。

今年もまた、金木犀の香りが、ふわりと街角に漂う季節となりました。

私にも、あなたにも小さな幸せが見つかりますように。


【講演のご依頼について】

「季節が教えてくれる、生きること」というテーマでお話しする機会を大切にしています。金木犀の香りの話だけでなく、彼岸花や一輪の花のお話を聞きたいというリクエストも歓迎いたします。もし、このメッセージを直接、皆さんの場所へお届けするご縁がありましたら、こちらよりお気軽にお問い合わせください。

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