先日、友人から連絡がありました。

「会社とうまくいかなくなって、定年で辞めることを決めた」とのこと。けれど、その先に待つ未来はまだ見えず、不安でいっぱいだと言います。

その気持ちは、痛いほどわかります。何かを決めるということは、とても勇気がいるものです。


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世の中には「会社が嫌だ」「家庭のしがらみから解放されたい」と自由を求める人がたくさんいます。仕事でも、家庭でも、束縛や責任があるからこそ、「自由になりたい」と願うのでしょう。

でも、自由は本当に楽しいものなのでしょうか?

そこに夢や希望があれば素晴らしいかもしれません。けれど、不満の延長としての自由は、いざ手に入れたとき、想像以上の不安をもたらします。

まるで、宇宙空間に放り出されたように…。

嵐山の祐斎亭にて

何をしてもいい。
何をしなくてもいい。
すべてが自由。

それは、一見すると理想的な状況に思えるかもしれません。
けれど、実際にその状態に立たされたとき、人は初めて気づくのです。

「仕事があることのありがたさ」
「家庭があることの安心感」

不満の中にいると、それがどれほど貴重なものか見えなくなります。

水鏡

自由には覚悟が必要

私は、自分の人生の中で少しずつ「自由」を手に入れてきました。好きなことを仕事にし、時間を自分で決め、思うがままに生きる…そんな生活をしています。でも、自由を得るたびに「底なし沼」のような不安も同時に抱えてきました。

自由には、すべてを自分で選択する責任が伴います。その選択が成功であっても、失敗であっても、誰のせいにもできない。全てが自己責任。その厳しい世界に、ようやく慣れてきたところです。

自由ほど「自分」が試されるものはない

自由とは、何でもできることではありません。「自分の意思で選び、行動すること」です。

誰かに決められたレールの上を歩いているうちは、責任を取る必要がない。けれど、本当の自由を手にした瞬間、すべての決断を自分でしなければならなくなります。だからこそ、自由ほど「自分」が試されるものはないのです。

私の今の選択

実は、私は今、「究極の自由」の目の前に立っています。
そこに飛び込めば、真の自由を手に入れ、ふわりと浮くことができるかもしれない。でも……怖くてできない。

自由には、覚悟が必要です。飛び込む勇気がなければ、自由を手にしても、その重さに押しつぶされてしまうでしょう。だから、私は今日も、自由と向き合いながら、少しずつ前へ進んでいます。

皆さんはどうですか?

「自由になりたい」と思うなら、その先にある不安も含めて、受け止める準備はできていますか?


オカリナ教室リーナ★リーナ
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