私には人生をかけて伝えたいことがあります。
それは、
「幸せを向いて生きる」ということ。
自分の人生を幸せにできるのは、自分だけ。
すべての選択を「楽しい」を基準にすれば、人生はもっと楽しくなる。
そんな想いを胸に、これまで歩んできました。
昨年末、私はこれまでの闘病生活を振り返り、1冊の本にまとめました。
クローン病と長い年月向き合い、数え切れないほどの入退院と手術を経て、
ようやく「難病の人生を終わらせた」と思えるところまで、たどり着きました。
2年前、薬をすべて手放してからは
「幸せを見つけられるようになった」と心から感じられる日々が続いていたのです。
もう二度と、あの頃のように病と闘う日々は戻ってこない。
そう信じていました。
けれど、生きていると――
人生には、続きがあるのです。
Contents
クローン病の合併症でICUへ|絶望に飲み込まれた日々
4月半ば。
私はクローン病の合併症である腎結石による激しい痛みに襲われ、緊急入院しました。
痛みを抑えるために市販の鎮痛剤を飲んだことが引き金となり、
胃腸は爛れ、腎機能の数値は大きく乱れ、CRPは30を超えていました。
嘔吐、下痢、貧血……
体はまるで自分のものではないかのようでした。
数日間ICUで治療を受ける中、私は何度も何度も自問自答しました。
「私は、まだ幸せに向かえるのか?」
「この状態で、前を向いて生きることができるのか?」
退院が近づいても血液は酸性に傾き、体調は安定せず、不調は続きました。
立ち上がることさえままならず、
不安が私を覆い尽くし、精神的な崩壊がすぐそこにありました。
今回の入院では、泌尿器科・消化器内科・腎臓内科・総合内科の4名の医師に診ていただきました。
それぞれが丁寧に向き合ってくれましたが、感じたのは医療現場の「縦割り」構造でした。
どの医師も自分の専門の範囲でしか話をせず、
見解が少しずつ異なることで、私の中に
「ではどうすれば?」
という迷いだけが積み重なっていったのです。
入院中はもちろん、退院後もこの迷いは私の心に重くのしかかり、
最大の不安となっていきました。
体調そのものよりも、
この「見解の違い」によって自分の選択に確信が持てなくなっていたのです。
もしかすると、それがいちばんの問題だったのかもしれません。
回復への第一歩:「体重を増やす」と決めた日
入院は10日間ほどでしたが、
その短い期間で心も体も限界まで
追い込まれたように感じました。
退院してからも悩みは続きました。
ふらつき、集中力はゼロ、体重は激減。
何を食べても力が出ず、
起きているだけでふらつき、
椅子に座っていることさえままならない日々でした。
「幸せを向く」ことができない。
これまで講演で伝えてきたことや、
自分の著書に書いてきたことが、
今の自分にはできていないと気づいたとき、情けなさに涙が溢れました。
「自分で選ぶことが大事です」
「自分で人生を動かせます」
そう伝えてきた私が、
医師たちの言葉に振り回され、
何も決められずにいたのです。
出口が見えない状況で、
私は自分の心に問いかけました。
「今、いちばん困っていることは何?」
答えは意外とシンプルでした。
「体重減少」と「止まらない下痢」。
だったら、まずやるべきことは――
「体重を増やすこと」。
細かい制限は気にせず、
とにかく体力を取り戻すために
「食べること」を優先しました。
最初は果物や缶詰のフルーツ、ジュースなど、
口にできるものをどんどん取り入れ、
高カロリーで栄養価のある食品も積極的に食べました。
量は少しずつ、
小分けにしてちょこちょこ食べることから始めました。
そして「睡眠」も徹底。
1日9時間を目安に、とにかく眠りました。
夜中に目が覚めても、
しばらくしたらまた眠れるようになり、
少しずつ疲労感が軽くなっていきました。
起きている時間が長くなると、
外に出て歩く練習も始めました。
すると、ある日、体重の減少が止まり、
下痢もぴたりと止まったのです。
その翌日には、
自分で立って動けるようになり、
さらに翌日にはレッスンを再開できました。
「やっと、ここまで戻ってきた」
そんな気持ちで、今このブログを書いています。
ないものではなく、あるものに目を向ける
不安が胸いっぱいに広がり、
息をするのさえ苦しくて、
頭の中で同じ言葉がぐるぐると回っていました。
「どうしよう…」
「このままじゃ、また全部失ってしまう…」
そんな時、突然スマホが鳴りました。
長年、私をそっと見守り続けてくれている友人からでした。
私が不安を伝えると、
友人は、優しくこう教えてくれたのです。
「そういう思考がね、現実を引き寄せちゃうのよ。」
「『こうなったらイヤだな』って考えが浮かんできたら、それは“やっかいなお客さん”がまた来たと思って、そっと帰してあげればいいの。」
目の前の景色が、変わった気がしました。
まるで霧の中に微かな風が吹き、
光の道が見え始めたような感覚。
「今、この瞬間に目を向けてみて」
友人のその言葉に背中を押されるように、
私は意識的に“今”を感じる練習を始めてみたのです。
食事をして「美味しい」と感じた瞬間
夜、眠る前に「今日も生きている」とホッとした心
窓を開けたとき、頬を撫でた春の風の柔らかさ
小鳥のさえずりや、遠くから届く街の音…
それまでただ過ぎ去っていた時間が、
色を取り戻し、豊かな香りをまとい始めました。
すると、不思議なことが起こりました。
ゴールデンウイークの最中で
世の中が止まっているはずなのに、
次々と“ありがたいこと”が舞い込んできたのです。
仕事の依頼が入り、取材の連絡が届き、
そして新しい生徒さんの申し込みまで。
何も動いていないはずなのに、
世界が動き始めた。
私はようやく気づきました。
「ないもの」を数えて苦しんでいた私。
気づけば、もうずっと前から「あるもの」に包まれていた。
そして、その小さな気づきが、これからの私の世界を
ゆっくりと変えていく――。
幸せは、いつも静かに私のそばで息づきながら、
まだ見ぬ未来へと私をそっと導いている。
「やらなくちゃ」を手放した日
以前の私は、
「やらなくちゃ」という思いに追われるように、
自分で予定を詰め込み、
常に心をせき立てていました。
「休んでいる暇なんてない」
「もっとがんばらなきゃ」
そう信じ込み、走り続けていたのです。
けれど、今回の入院は、私に強制的なブレーキをかけました。
立ち止まらざるを得ない時間の中で、気づいたのです。
「手放しても、世界は回る」
「私がすべてを背負わなくても、大丈夫なんだ」
そう思えた瞬間から、
私は「今できること」にだけ集中しようと決めました。
「未来は、そのとき考えればいい」
「入ってきてほしいもの」を限定せず、
ただ目の前にあるものに感謝してみる。
すると、不思議なことに――
何もしがみついていないはずなのに、
講演の依頼やオカリナ教室への申し込みが、
次々と舞い込んできたのです。
「入ってきているもの」に気づくと、
心がふわりと軽くなる。
今、私は「気が楽」という感覚を少しずつ取り戻し、
あの息苦しかった「やらなくちゃ」の日々から
静かに解放されつつあります。
果報は寝て待て――欲を手放したその先に
「果報は寝て待て」
このことわざが、今の私にすとんと腑に落ちます。
焦らず、頑張りすぎず、ただ“今できること”を丁寧に積み重ねていく。
あとは、流れにそっと身を委ねればいい――。
未来を心配して、もっともっとと欲を抱え込んでいた私。
けれど、ふと立ち止まり、
「今ある幸せ」に目を向けた瞬間、
心がふわりと軽くなるのを感じました。
「朝、目覚めて空を見上げる。
ごはんを食べて、笑って、少し疲れて、また眠る。
その繰り返しの中に、もう十分すぎるほどの幸せがある。」
欲を手放すとは、
“諦めること”ではなく、
「結果を追い求めることをやめ、心をゆるめる」ということ。
何もないように見える日々も、
静かに、ちゃんと人生は動いています。
だからこそ――
「今」を味わいながら、
流れに身を任せて生きていこう。
最後に
「果報は寝て待て」――
なんてよくできた言葉でしょう。
焦らず、無理に求めず、
“今ここ”を味わいながら流れに身を任せる。
それは、怠けることでも諦めることでもなく、
「きっと大丈夫」と
自分と人生を信じることなのかもしれません。
今日もちゃんと生きました。
それだけで、十分です。
メディア実績
これまでの活動は、全国各地のメディアでも紹介されています。
新聞各紙・女性自身・週刊女性・ ラジオ深夜便・ 奇跡体験アンビリバボー・24時間テレビ・テレビ大阪「生きるを伝える」 月刊致知「致知随想」…他多数
2025年5月22日朝日新聞「ひと」欄(全国版) さくらいりょうこ著『幸せを向いて生きる』が月刊致知に書評が載りました。

