妬み、恨み、そして自分が壊れていく

※このブログはシリーズ「欲と目標」の第2話です。
第1話では、ただ好きだったはずのフルートが、いつしか“欲”にすり替わってしまった私の過去を綴りました。
【第1話はこちら】《ただ夢中だったあの頃》


演奏家になるという夢を追いかけていた頃の私は、がむしゃらでした。

音楽の世界は、優劣や順位がつく世界。
コンクール、オーディション、評価――だからこそ、自分のことしか見えなくなっていきました。

誰よりも上手くなりたい。
チャンスはすべて自分のものにしたい。
そんな気持ちが強くなればなるほど、
私の心には“欲”が根を張っていきました。

今、振り返って思うのは ―― あんなに無茶をしなくても、自分と向き合って、ただ一歩ずつ練習を重ねていけばよかったのに――と。

でも、私は大きく道を外しました。

そして、病に倒れました。

原因はわかりません。
けれど私は、自分の中に渦巻いていた“欲”が、身体を壊すほどに私をむしばんでいたような気がしてなりません。

病気になってからも、「病気になんか負けない」と、無理やり前を向いて突き進みました。高熱でも、腹痛でも、関係ない。やりたいことがあるんだから、止まっていられない――

そうやって無茶を重ね、腸閉塞が破裂。命を落としかける経験をしました。

そのとき初めて、私は“夢をあきらめる”という現実に直面しました。

夢を失う――
それは、何よりもつらい体験でした。

何を目指せばいいのかもわからない。
ただ日々をやり過ごすだけ。
この時代、もはや「目標」などなかったのかもしれません。

けれど今思うと、この時代にも“欲”は存在していました。

それは、妬みや恨みという形に姿を変えていたのです。

「どうして私が」
「病気がなければ、私だって…」

友人の活躍も喜べない。
音楽を聴くのも、歌番組を見るのもつらい。
人と話すのさえ嫌で、心がどんどん閉じていきました。

がんばらなくても体調は悪い。
よくなる気配もない。
出口など見えない――
そんな時代でした。

あのとき、もし“欲”を手放せていたら、もう少し違う感情を抱けていたのだろうか。

今、こうしてこのブログを書きながら、私の中からその“欲”が抜けていくような感覚があります。

欲がいけないわけではありません。
でも、過ぎた欲は、やがて自分を壊すものになります。

妬み、恨み、憎しみ――
それはすべて、満たされない“欲”の影。

あの頃の私は、それに気づかず、自分自身を深く傷つけていました。

でも今なら、わかるのです。
「欲」が心に入り込むとき、人は誰かではなく、自分を一番苦しめてしまうのだと。

そして、ようやく気づけた今だからこそ、伝えたいことがあります。


今読んでくれているあなたへ。

もし今、誰かをうらやんだり、自分だけが取り残されている気がしていたら――それは、知らないうちに“欲”が心に入り込んでいるサインかもしれません。

欲は静かに忍び寄ります。
「もっとがんばらなきゃ」「もっと上へ」―― そうやって自分を追い込んでしまうのです。

でも、思い出してください。
人生は、誰かと競うためにあるんじゃない。
目標は、本来、心がほっとする場所に向かう道しるべです。

もし今の目標が、「誰かより」「もっともっと」になっているなら、それは“欲”に変わっているのかもしれません。

そっと、自分に問いかけてみてください。

「私は、なにを満たしたいのだろう?」

その問いに気づけたとき、
心が少し、軽くなるかもしれません。


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