夢や目標。
幸せに生きるためには、大切なものだと思います。

これまでの人生を振り返ってみても、いちばんつらかったのは―― 夢も目標も持てなかったときでした。

病気のつらさももちろんありました。
でも、それ以上にしんどかったのは、「この先どうなりたいか」がまったく見えなかった、心の空白です。

このブログは連載シリーズ《欲と目標》の第3話です。
前回までの記事はこちらからご覧いただけます↓

▶︎【第1話】ただ夢中だったあの頃
▶︎【第2話】夢を失った日々の中で

次回(第4話)も更新予定です。よろしければ、引き続き読んでいただけたら嬉しいです☺️


体の不調が続く中で、気づけば心も閉ざしていました。

「どうせ私なんて……」
「もう無理だ……」

そんな言葉が、少しずつ心の中に積もっていきました。きっと、自分を守ろうとしていたのだと思います。

これ以上、傷つかないように。
期待しないように。

でもその結果、誰の声も届かず、どこにも向かえない、ぽっかりと空いた場所に、私は立っていました。


そんなある日、神戸の街が大きく揺れました。
それは、私の人生を一変させる出来事でした。

夢や目標を語っている場合じゃない――

そんなレベルではなく、「今」何が起きているのかもわからないほど、目の前の現実が、すべてを覆い尽くしていました。

咄嗟に、身の安全を考える自分がいました。家族の無事を案じる自分がいました。状況をつかもうと動き出す自分もいました。

私は、「生きる」ということに対して、迷う間もなく、本能的に動いていたのだと思います。


私は、生きる選択をしていたのです。

誰かに「どうする?」と聞かれたわけでもない。どうしようかと、考える時間もありませんでした。けれど、気づけば私は、自分の意思で生きようとしていました。

それは、「生きる」本能だったのだと思います。

何かの役に立ちたいとか、希望を叶えたいとか、そういうことではなく――ただ、“生きのびるんだ”という思いが、自分の中から自然に湧きあがっていたのです。


公衆電話の長い列に立ち尽くしていた私に、無言で10円玉を握らせてくれた、見知らぬ人がいました。

その10円で、家族の無事を知ったとき、私は静かに、自分の中に「光」がともるのを感じました。

私の人生は、「生きる」方を向き始めていたのです。その選択が、後の人生を動かし始めました。


今、読んでくれているあなたへ

もし今、夢や目標が見えなくなっていたとしても、なにをしたらいいのかわからないまま、ただ毎日をやりすごしているように感じていたとしても――

それでも、大丈夫です。
そういう時期は、誰にでもあるものです。

生きることが苦しく感じるとき。
未来なんて考えられないとき。
心がいっぱいいっぱいになってしまうとき――

そんな中でも、今日ここにいて、こうしてこの文章を読んでくださっていること。

それは、あなたの中の“生きる”本能の証かもしれません。

その力を、今すぐ信じることができなくてもかまいません。

でも、あなたの中には「選ぶ力」がある。

私たちは、どんな状況の中でも、小さな選択をしながら、生きています。そのことを、どうか忘れないでいてください。


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