こんにちは。
さくらいりょうこです♪
今日は、私が今朝配信のメールマガジンに書いたことをブログに掲載したいと思います。
このブログでは、オカリナワークショップのことだったり、日々の出来事であったり、内容は様々ですが、メールマガジンは私が講演会で話す内容のことが多く出てきます。まだまだ配信数は少ないのですが、これからは他の人の講演を聴いたり、本で読んだりしたことも書いていきたいと思っています。いわゆる「気づき」です。私なりの解釈ですが、読んでくださるみなさんに伝わればいいなあと思う次第でございます。
今日のメールマガジンは終戦の日に考える「受け継いできたいのち」についてです。
こう書くと難しそうですが、私の祖父(写真)の話をメインに書いていますので、ぜひぜひ最後までお付き合いくださいませ。
以下、さくらいりょうこメールマガジンより。
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暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
私は昨日まで実家に帰省していました。
神戸の軽井沢と呼ばれる「鈴蘭台」は、
朝方には寒くて目覚めるという別世界。
ひょっとして…
今、「いいなあ~~」って思いました?
ふつうは思いますよねぇ。
でも…冬も「寒くて目覚める」んですよ…(´・ω・`)
呼び名は「神戸のチベット」と変わります。
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さて、今日は終戦記念日。
戦後生まれ、
というより「歴史上」
比較的最近まで…orz…
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5~6年前のこと。
ある講演依頼が入ってきました。
それが「戦没者追悼式典」の「特別講演」だったのです。
正直…
「無理やん」
と思いました。
お断りしようかとも考えたのですが「できない」
せっかくの機会、なんとかしよう!とお受けすることにしました。
さて、どうしたものか。
受け売りの話ばかりでは心に響くわけがありません。
どこかに「体験」と「共感」がなくてはいけないのです。
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そこで思い出したのが、
祖父は沖縄で商売をしていたということを思い出したのです。
でも、どこで何をしていたのかもさっぱりわかりません。
父も亡くなっているし…
母の記憶に頼るのみ…
さっそく母に「戦争のことを聞かせてほしい」と言うと、一枚の「
そこには「サクライ洋品店」とかかれています。
祖父の名刺です。
今、検索したらネットに写真が出ていました。
父も映っているはずです。↓↓↓
http://www.rekishi-archive.
かなり大きなお店だったそうで、祖母は7人もの子どもを産み、
戦争さえなければ、
でも
戦争がなければ私は生まれてきていませんでした。
沖縄が焼野原になる直前のこと。
祖父一家(父も)は、引揚船に乗り込みました。
魚雷が飛び交う中、船は四国を目指します。
まわりの船が次々に沈んでいったそうです。
逃げ帰ることができたのは、
命からがら徳島の親戚の家に身を寄せた祖父一家。
大事に抱えるように持ち帰ったお金は、戦後紙くずとなり、
こう書くと、なんだか辛すぎる~って思いますが、
7つの講話とWebコンサートの第2話で「生まれ持つ力」
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と…こんな話を盛り込んで「戦没者追悼式」
講演会終了後は、皆様、
戦争のこと。
歴史上のことだと思っていた自分が恥ずかしいです。
あれから毎年、終戦記念日には「受け継いできたいのち」
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最後までお付き合いありがとうござました。
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ぜひ、よろしくお願いします。
さくらいりょうこ
【追記】
3年ほど前、この話は琉球新報さんにも掲載していただきました。
おかげで祖父のお店で働いていた方の息子さんや、
生きているといろんなことがありますね♪