自分の人生に起こることを、少し離れて眺めてみると、ひとつの人生を歩んできたというよりも、いくつものフィールドを行き来してきたような感覚が、ずっとありました。特別なことが起きた、というよりも、あまりにいろんなことが起こりすぎた、という感覚です。病気、震災、思い通りにならない日々。その中で、少しずつ変わっていったこと。そのひとつひとつに、必死で向き合ってきたつもりでした。

でも、ようやく気づいたことがあります。自分の人生に「何か」が起きたとき、そのとき自分は何を選んできたのか、ということに。

今振り返ると、出来事そのものよりも、そのとき自分がどこを見ていたのか。その選択が、その後の自分をつくってきたのだと思います。

過去を縛りとして見るのではなく、少し引いたところから眺めてみると、そのとき、そのときに自分が選んできたものが、見えてきます。きっと多くの人も、それぞれの出来事の中で選択をしてきて、その積み重ねが「今」になっているのだと思います。

私が気づいたのは、とてもシンプルなことでした。見る方向が変わると、人生の感じ方が大きく変わる。ただ、それだけのことです。

わかりやすく言うと、震災のとき。あの出来事で、何かが変わったわけではないのだと思います。あのとき私は、「生きることをどこかで放棄していた人生」から、あらためて「生きる」を選び直しました。でもそのとき同時に、私はひとつの条件をつけていました。「苦しみに耐えて生きる」という条件です。

それが正しいと思っていましたし、それしか選べないとも思っていました。今から思えば、物心ついた頃から私は、自分で自分に「ねばならない」を課し続けてきたのだと思います。そして、ずっとその中で生きてきました。

でも今、少しずつ変わってきていることがあります。「ねばならない」から、解放されていく自分がいる、ということに気づき始めています。

同じ出来事でも、どこを見るかで、そのあとの人生はまったく違うものになる。それは、正しい方向や正解がある、という話ではなくて。自分がどこを向いているのかに、少しだけ気づけるかどうか。そんなことなのかもしれません。

みなさんの中にも、知らずに自分へ課してきた「ねばならない」が、あるかもしれません。

【さくらいりょうこ】
講演家・著者。難病と震災を経験し、全国47都道府県で延べ1,500回以上の講演を行う。「今、在るものを見る」「ねばならないからの解放」をテーマに、教育・人権・医療・企業など幅広い場で活動中。

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