震災のあと、私は「生きる」と決めました。
(このときのことは、以前のブログにも書いています)
https://ryokos.jp/miru-houkou-jinsei-kawaru/  

でも、決めたからといって、そのまま真っ直ぐ進めるわけではありませんでした。
立ち上がろうとするたびに、気づくと、「どうせ無理なんじゃないか」と思う自分が出てきて、動けなくなる。進もうとしているのに止まってしまう。そんな状態を、何度も繰り返していました。

やればできるという言葉が呪縛になっていた頃

そのころ、成功哲学の本をいただいて、こう言われました。

やればできるを、とにかく言いなさい。  

私は、それを本当にそのままやりました。

やればできる。
やればできる。
やればできる。  

それだけではありませんでした。
その後の私は、人生をよくするための勉強をいろいろしました。そういう場に行くと、こうしなければならないということが増えていきました。

いい人でなければならない。
礼儀正しくなければならない。
服装にも気をつけなければならない。
感謝することさえ、ねばならないとして伝わってきました。

正解をなぞるほど、自分が自分でなくなっていく違和感

受け取り方の問題かもしれませんが、本来は本質を突いた教えだったはずのものが、場や組織を通るうちに、いつの間にか「この通りにこなせばうまくいく」というマニュアルに変わっているようでした。
この「決められた型」を全部やればいいのだ、そう思う自分もいましたが、私の中には、強い違和感がありました。
何かがおかしい。
それは教えが間違っているということではなく、その通りに振る舞うほど、自分が自分でなくなっていくような感覚でした。
たしかに、マニュアルをこなして、うまくいく人はいます。
でも、自分を消して誰かの決めた型にはまることで、本当に満たされるのかと、今は思います。

ポジティブという名の蓋をして自分からずれていった

長い間、私は、ちっとも前向きじゃないのに、 前向きでいようとしていました。 しかしそれは、自分の中から出てくる不安や迷いに蓋をしていただけでした。
学べば学ぶほど、 自分からずれていったように感じます。
同じところで止まっていたのは、「自分」を置いたまま進もうとしていたからだったのではないでしょうか。

感情に気づくことで、はじめて向く方向を選び直せる

あれから何十年も経って、ようやく気づいたことがあります。  

無理にポジティブでいようとするのではなく、
自分が今、何を感じているのかに気づくこと。  

たとえ恐れや不安であっても、
まずは、そのままを見つめること。

自分の本音に気づいたとき、
はじめて、向く方向を選び直せる。  

変わろうとしなくてもいい。
どこを見るかで、そのあとの動き方は自然に変わっていく。

見る方向が変われば、選択肢も変わる。  

人生の舵を握るのは、自分です。  

【さくらいりょうこ】
講演家・著者。難病と震災を経験し、全国47都道府県で延べ1,500回以上の講演を行う。「今、在るものを見る」「ねばならないからの解放」をテーマに、教育・人権・医療・企業など幅広い場で活動中。

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