花が教えてくれた、生きる力
― 季節が巡るように、人生も動いている ―
(第3章 一輪の花と青空が教えてくれたこと)
このブログは、三部作エッセイ『花が教えてくれた、生きる力 ― 季節が巡るように、人生も動いている ―』の第3章です。
第1章では、彼岸花が「忘れずに咲く力」を。
第2章では、金木犀が「見えない記憶の温もり」を教えてくれました。
そして今回、第3章では、あの春の日に出会った一輪の小さな花が教えてくれた「希望」の物語を綴ります。
私には、人生の節目や心細いときに、必ず立ち止まる勇気をくれた、忘れられない花が三つあります。
ひとつは、あの鮮やかな彼岸花。
真紅の炎のように、土から立ち上がり、誰に見られなくても、毎年、その時を忘れずにそこに咲く花です。彼岸花は、私に「自分の場所で、しっかりと根を張ること」の大切さを教えてくれました。
そしてもうひとつは、秋の深まりと共に、突然、街全体に甘い香りを運んでくれる金木犀。
その香りは、心の奥にある幼い頃の記憶や、過ぎ去った日々の温もりを、やさしく呼び起こしてくれます。金木犀は、「見えないものこそ、強く、深く、心を揺さぶる」という真実を教えてくれました。
あの二つの花が共通して私に語りかけてくれたのは、どんなに世界が揺れ、人の心がざわついても、季節は必ず巡るという、静かでゆるぎない真実でした。
そして今回、この「花が教えてくれた、生きる力」という三部作の締めくくりとして語るのは、
三つ目の花――あの春の日に出会った、一輪の小さな花が教えてくれた希望の話です。
この三つの花が織りなすメッセージこそが、私が講演でお話しする「生きる力」の原点。
私は今、三度目の花である一輪の花が教えてくれた希望の話を、心を込めて綴りたいと思います。
静まり返った春に、心まで閉ざされた
それは、世界が突然静まり返り、すべてが薄暗いフィルターをかけたように見えた春のことでした。
連日流れるニュースは、見えない脅威がすぐそこに迫っていることを伝え、誰の心にも不安の影を落とし、街から人々の声が消えていった、あの頃です。
私は、長年向き合ってきた持病があり、定期的な通院が欠かせない身でした。そんな中、まだパンデミックがどんなものかもわからない、情報が錯綜していた時期、たまたま診察に行ったその日の病院から、感染者が出たという報道を目にしたのです。
あの瞬間、「もし自分も感染していたら」「もし家族にまで移してしまったら」という恐れが、まるで巨大な鉛の塊のように私の心にのしかかってきました。誰にも迷惑をかけないように。その思いだけで、私は実家を離れ、大阪のマンションに戻りました。そして、人との接触を断ち、十日間を一人で過ごすことにしたのです。
外の世界は、まるで音を失ったモノクロの映画のようでした。窓の外を見ても、人の姿はなく、車の音すら遠くに消えていく。部屋の中では、ただ時計の針が時を刻む音だけが響き、まるで時間だけが、ゆっくりと、しかし確実に進んでいるように感じました。
この静けさの中で、私はようやく気づきました。
――自分がどれほど、誰かの声や、街の賑わいや、「外の世界」に支えられて生きていたのかを。繋がりを断たれたとき、私は、自分の中にある「生きる力」までが、まるで薄れていくように感じていました。心の中に響くのは、自分の呼吸の音だけ。それは孤独であり、同時に、自分自身の「いのち」を深く見つめる時間でもありました。
小さな花がくれた、ひとすじの光
十日ぶりに外へ出た日のことです。
外は、見事な青空でした。春の光が目に眩しいほどに降り注いでいました。
マスクをつけ、人とすれ違わないように気をつけながら歩き始めました。国道沿いの道には、ほとんど人影もなく、かすかに吹く春の風だけが、孤独な私の頬を撫でていきます。
そのとき、ふと視線の先に、私を立ち止まらせる小さな光を見つけました。
それは、アスファルトのひび割れの隙間から、懸命に顔を出して咲いている一輪のオレンジ色の花でした。
名前も知らない、なんとも可憐な小さな花。その花は、まるで太陽の光を全身で受け止めるように、花びらを精一杯開き、まっすぐに咲いていました。
「花が咲いている。」
たったそれだけのことが、胸の奥を突き動かし、涙が出るほど嬉しかったのです。
私は、その道を何度も通っていたのに、これまで一度も花の存在に気づいたことがありませんでした。病気のこと、仕事のこと、いつも何かに追われるように、心に余裕なく歩いていたからです。
先行きが見えない不安に立ち止まらされたことで、私はようやく、目の前にある小さな奇跡を見つけることができたのです。
花は、誰かに見てもらうために咲いているのではない。ただ、自分の中にある「咲く力」に従って、そのいのちの役割を全うしているのだと、その時、はっきりと感じました。
青空の下で見つけた、まだ大丈夫という声
私は立ち止まり、空を見上げました。どこまでも澄み渡る、深い青が広がっていました。
人通りがないことを確認して、マスクを少し外し、大きく空を見て、深く深呼吸をしました。冷たくて、でも確かに命を感じる空気。胸の奥まで届き、乾いた心を潤してくれるような、そんな感覚でした。
ふと、思いました。
もし春になっても、世界中の花が咲かなかったら。
もし空が、いつも不安を映すような暗い色のままだったら。
きっと、もっと深い絶望の中にいたでしょう。
そして、本当に、世界は終わるのではないかと思ったことでしょう。
でも、花は咲いていた。
桜のつぼみは膨らみ、鳥はさえずり、空は青かった。
でも、花は咲いていた。
桜のつぼみは膨らみ、鳥はさえずり、空は青かった。
――まだ、大丈夫だ。
そう思えた瞬間、胸の奥に積もっていた不安が、春の雪解けのように、少しずつ溶けていきました。
人間がどれだけ立ち止まり、混乱し、不安に包まれても、自然は、今日も息づいている。季節はちゃんと巡り、光は降り注ぎ、そして花は、その時を忘れずに咲いてくれる。
青空の下でそう思えたとき、私は、自分の中にもまだ「生きる力」が残っていることに気づきました。その力は、誰かの声ではなく、私自身の静かな呼吸の中に、確かに存在していたのです。


花が咲く限り、私たちは生きている
花は、誰のためでもなく、ただ自分の季節を生きている。
その姿が、静かに「命の強さ」を語っている。
人もまた、同じなのだと思います。
社会の評価や、他者からの承認といった「外側の光」が遮断されたとき、私たちは、自分自身の内にある「命の根っこ」を見つめ直すことができます。
私たちは、誰かの期待に応えるためではなく、自分のリズムで生きていい。それぞれの場所で、それぞれの色の、自分の花を咲かせていい。春の光の中で見つけた小さな命は、私にそう教えてくれました。
不安や孤独ではなく、花や青空を通して感じた「生きる力」の鼓動。それは、困難な時代を生きる私たちすべてに贈られた、最高のメッセージだと信じています。
この季節が教えてくれた静かな気づきを、私は深く胸に刻みました。
そして、この話は、講演の中でもよく話ししています。こうして文字にしてみると、あの日の空の青さや、花の色、あのとき感じた呼吸の温度までもが、今も心の中で静かに咲いているように感じます。
花が咲く限り、まだ大丈夫なんだ。
【講演のご依頼について】
「季節が教えてくれる、生きること」というテーマでお話しする機会を大切にしています。今回の一輪の花だけでなく、彼岸花や金木犀など、特定の花のお話を聞きたいというリクエストも歓迎いたします。もし、このメッセージを直接、皆さんの場所へお届けするご縁がありましたら、こちらよりお気軽にお問い合わせください。
▶お問い合わせはこちらです。
*三日経っても返事がない場合はお電話ください。050-5865-6969(平日 9:00〜17:00)
