撮ってもらった写真をみると
その多くがマイクを持ってお喋りしている姿です。
皆さんがどう思っていらっしゃるかはわかりませんが、私は講演家です。
オカリナの先生でもありますし、オカリナ奏者でもあります。
もちろんフルート奏者でもありますが、最近はステージで吹かなくなりました。
それは、オカリナに力を注ぎたいからです。
では「講演家」って何やねん?
って思われるでしょう?
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★大阪)8月8日:梅田茶屋町ボニーラ★東京)9月7日:恵比寿アートカフェフレンズ★
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もう15年近く、私は講演会というフィールドで生きています。
人権だったり教育だったり、企業研修だったり、企業の顧客の皆様向けの講演だったり…書き出すときりがありません。変わりどころを言えば「戦没者追悼式典」です。正直、これはハードル高かった(笑)。でも、自分の父のこととか祖父母のこととか、知らないことを母から教えてもらえたので、とても良いきっかけをいただいたと思います。
そして、こういう講演の依頼をいただくたびに「アンテナ」を立てて情報収集をしてきました。私には知識はほとんどありませんし、資格もないし肩書きもない。でも、この情報収集力は非常に高いと思っています。
でね、私の講演活動を応援してくださっているお友だちから「話し方を教えてよ」というお言葉を数年前からいただいております。それほど大したことではないのですが、振り返ってみて気づくことを書いていこうかなと思っています。
で…私にも「はじめて」があったということをまず書いてみます
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オカリナのことはこちらのページに書き続けています。
ぜひぜひ見てやってください。
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2001年春に「本当はフルート吹きたいんじゃないの?」と声をかけていただき、チャンスの神様を捕まえた話は書籍「あしたを生きることば」にも書いていますし、「光のステージへ」という講演でもよく話しています。
その裏側のことです…
7年ぶりに人前でフルートを吹くというプレッシャーとともに、同じかそれ以上に「人前で話す」というプレッシャーがありました。これは半端ないです。だって、それまで人前で話したことなんてないんですもの。
何をどうやって話せばよいかなんてわかりません。
誰も教えてくれませんし。
ただ、与えられたテーマは「難病を患ってからの辛さ、そして夢を追いかける姿を見せてちょうだい」ということでした。今の私はブレずにやってきています。強いていうなら「難病」を全面に出すことをやめました。これはこの2年くらいそうしています。
当初から「難病のさくらいさん」を「さくらいさんは難病」と変えていきたいと思っていましたから、それに沿った感じです。意味がわかりますか?私の冠は「難病」ではないということです。「難病ビジネス」とか言われることもありましたし、病気になってラッキーだったなと言われることもあります。
私はさくらいりょうこ個人として、伝えたいことを伝わるように話していくことを決め、この2年やってきました。
話が少し横道にいきましたね(;・∀・)
誰も教えてくれなかったというところでしたね。
当時の私に話し方を教えてくれる人なんていなかったんですよ。
たった20分でしたし、演奏がその半分。それでも10分は話さなくてはいけません。何をどう話せばよいのかまったくわからず、原稿に書いてみるもよくわからない。読み上げてみておかしなところがないかをチェックする…棒読みすることで乗り越えようとしていました。
それでも!
当日は緊張するのです。
吐きそうなくらい…。
逃げ出したいくらい…。
あれから17年?
講演家になることができました。
続きはまた明日。
さくらいりょうこ🌸