人権講演会を始めた頃、本当に困っていました。

想像してみてください。

人権講演会ですよ。うっかりしたことを話せません。言葉ひとつ、ものすごく慎重に選びます。それは今でもしていることですが、最初は言葉より話す語彙がありませんでした。役所に行って人権のパンフレットとかもらってきたり、街の至るところにある人権の標語にアンテナを立てました。ネット検索はもちろんしましたが・・・私に話せるようなことはひとつもありませんでした。

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そんな中で出逢った素敵な言葉が「思いやり」でした。どの街の広報誌にも「思いやり」と書いていました。

「これだ!」と思いましたよ。

優しい響きだし、間違いない言葉(人権の広報誌に載ってるんですもの)です。私は毎回、この「思いやり」を語っていました。

それが・・・

ある日、これほど上から目線(というのか?)の言葉はないのでは?と感じたのです。

福島県の中学校での講演でした。

その中学校は、震災の原発の爆発により、自分の家に帰れなくなった生徒さんの学校でした。もちろん学校も立ち入り禁止区域にあります。少し安全と思われる地域の小学校の体育館を借りて勉強をしていました。その時の依頼は「彼らに夢を語ってくれ」というものでした。それまで一度も講演を断ったことがなかったのですが、はじめて「無理かもしれない」と思いました。しかし、私が行かなくても誰かが行くのです。それなら・・・と引き受けました。

当時のことは講演会でよく話しています。

福島の街が美しかったこと、空は澄み渡り、素晴らしい景色なのに、みえない境界がありました。「そこから向こうはだめ」と言われます。ガイガーカウンターが反応するのです。

彼らにかける言葉が見つかりません。

彼らは未来をどう感じているのでしょうか?

どんな悲しみと苦しみを抱えているのでしょうか?

相手のことを思いやる?

想像もつきません。

この日、私は「思いやり」という言葉を封印しました。

彼らと接して気づいたことは「忘れてはいけない」ということでした。彼らの何の役にも立てないけれど、忘れない、このことだけはできると、講演会でこの話をよくします。

相手を思いやる。

その人の苦しみは、その人にしかわからないのです。

私が「お腹がいたい」と言っても「どのくらい痛い」のかは誰にもわからないのです。

私は、どうして欲しかっただろう?と自問しました。お腹が痛いとき・・・傍にいてくれる人がいたら安心でした。何も言わず、そこに居てくれるだけで安心でした。

相手の気持ちになれなくても、心に寄り添うことはできる。

皆さんもそう思いませんか?