ずっと夢を追いかけて生きてきました。講演会で語るテーマは「夢」ばかり。それを批判されたこともありました。それでも「夢」は私にとって大切でした。

「普通に生きる」

40歳の時の私の目標でした。

夢でもありました。

「普通」を手に入れたい。

そう願っていました。

では、普通って何なのでしょうか?

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ある人が私に言いました。

普通の幸せを生きればいいのにと。

ちょうど、私が離婚したばかりの頃です。

結婚して15年、ずっと普通を目指してきました。体調の悪い日もありましたし、誰かと生活をすることはとても気を遣いました。もちろん安心も同じくらいありました。穏やかな日もそうでない日もありました。今から考えれば「普通」に近かったかもしれません。

そこから飛び出した私によく言うな~と思いながら聞いていましたが、ひとつの疑問が湧きました。

「普通って何?」

その人は「普通に結婚して子どもを産むとか」と・・・

これには呆れました。

離婚したてで、子どもを産むような年齢ではないのに・・・と思うのと同時に「それが普通なん?」と疑問が湧いたのです。

そこからは、自分にもその人にも問いかけました。

「赤ちゃんが元気に生まれてくるのが普通だとしたら、病気で生まれた子どもは普通じゃないの?」

「元気に生まれてきたけど、不登校になった子は?」

「学校はちゃんと行けたけど、受験に失敗した子は?」

「大学も行けたけど就職できなかった子は?」

「就職したけど鬱になったら?」

「鬱にはならなくても、結婚できなかったら?」

「結婚できても、子どもさんに恵まれなかったら?」

その人たちは「かわいそう」なのでしょうか???

普通の幸せから外れたら、ひとくくりに不幸せなのでしょうか?

世の中の常識に苦しめられてきたのだと、私は気づいたのです。人権の講師をやってきました。普通の人よりずっと「差別」というものと向き合ってきました。私は病気になったらから「不幸せな人」になったのでしょうか?

私の不幸せを誰が決めるのでしょうか?

そんなことをずっと考えてきました。ルールは守るけれど、常識は嫌い。そんなへんなことを言う人になってしまいました。

それでも・・・

しなくても良い経験も含めて、いろいろあった人生は、私の糧となりました。今はとても元気になっていますので、誰も病人扱いしません。してほしいとも思いません。

昔、誰かにこんなことを言いました。

クローン病のさくらいさんと呼ばれたくない。

さくらいさんはクローン病ならまだいい。

このニュアンス、わかります?