いつの頃から生きることを考え始めたのか・・・記憶を遡ってみると、心当たりは阪神淡路大震災の頃のこと。

結論から言うと「生きていてよかった💛」と思える人生を生きています。これホンマにスゴいんです。どう考えても「あの頃」の私には「今の幸せ」が想像できません。

なので伝えたいのです。

生きるを考える。

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今、心治しの学びにトライしています。不思議な世界があるもので、見えない世界と見える世界のお話です。ここでは詳しく書きませんが、この学びのおかげで病気も治り、心も健康になりました。ご興味ある方は「お問合せ」からメッセージください。

「講演家さくらいりょうこ」

6年ほど前に大阪の街にやってきたとき、名刺に「講演家」と書いていて「講演家って何ですか?」と何度も聞かれました。

世の中に「講演家」という職業がないのかなと思いましたが、そういうニュアンスではなかったように感じます。本田健さんとかなら「講演家」と称してもおかしくない、でも、目の前にいる普通の女性が「講演家」と名のるなんておかしいと思われたのだと思います。

それでも

「講演家さくらいりょうこ」なのです。

演奏家の道を目指していました。フルートで世界一を目指そうとしたこともあります。自分の人生に難病がやってきて、暗黒の時代がありました。死にたいとずっと思っていましたが、死ぬ勇気もありません。

どんな時も

私は生きていたのです。

21歳で難病を患い、演奏家の道が途絶え、何度も生死を彷徨い、どうやって生きるかをずっと考えていました。どうやってとは働くという意味です。震災で被災した後は家に引きこもり、30歳を過ぎて再び手術、このままでは未来はどうなるのだろうか?と、社会復帰を心に決めました。

体調も悪く、迷惑をかけましたが、多くの方が支えてくれ、少しずつ働けるようになりました。いわゆる「普通」を基準にするなら、この時点で、社会に出るのは10年出遅れておりました。「普通」を手に入れたいと必死でしたが、激痛の毎日でした。

痛みから解放されたのは40歳を過ぎてからの3回目の手術の時でした。病気になってから20年痛みと格闘していたので、一日に下痢が数十回あっても痛みがないことが嬉しくてたまりませんでした。

その頃に講演会という機会をたくさんいただきました。

闘病からの奇跡の復帰と題しての講演会でした。初めてのことばかりだったので、緊張と楽しさと、全国へ行ける嬉しさでいっぱいでした。

「普通」から考えると20年の出遅れです。私はそう思っていました。

「普通」に追いつきたい。

そう思って講演会をがんばっておりました。

それでも・・・何かが違うのです。

つづく。